こんにちは、今日は結局、午前中学校をお休み(休んでばっかですみません)…少々のんびりできたので復活しました。元気になった夕方、大学の図書館に本を借りに入ったのですが、みんな心配してくれてありがたかったです。
とりあえず、ホームページづくりもひと段落できたので、やっと読みたかった本が読めます。今日は、調子に乗って6冊も借りてしまいました。
今日借りた本の多くは立岩真也先生という社会学者のようで哲学者のようなとにかくスケールの大きな方なのですが(ホームページはこちらhttp://www.arsvi.com/)、スケールが大きいながらも、身近なところをついていて、わかりにくそうでわかりやすい(でも本を読むのには時間を要します)ことをやっている方です。ちなみに立岩先生は、立命館の先端総合学術研究科http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/index.htmという我が21世紀社会デザイン研究科によく似たおもしろい学際的な研究科の先生です。
なぜその先生の本を読みたかったと言うと、一つは上に書いたような学際的な研究をやっているということと、「障害」や「障害者」について再認識をしたいと思ったからです。(最近本を選ぶ時、運命を大事に考えているので、どんなに些細でもいいので、2つ以上の理由が重なった本を選ぶようにしています)。
今日は後者の理由について僕の考えを話します…
僕は学部は福祉学部だったので、「障害」について勉強してきたつもりですが、なにかバイアスをかけながら勉強してきてしまったと思っていました…援助者の視点から障害学を勉強すると、対等な関係性を目指しながらも、どうしても障害者は守るもの、助けてあげるものという認識のもとで勉強していたのです。確かに、その支援の姿勢は大切なのですが、果たしてそもそも障害ってなんでしょうか?
一般的な定義もあるのですが、たとえば妊婦さんだって障害者、最近はワーキングプアのような問題もありますが、その方も経済的な障害者、子供や老人も社会的にみれば障害者、実家で甘えている自分だってそうだし、そもそも大自然の中からみてみれば自給自足ができない人間は皆障害者なのだといえるでしょう。
そこを忘れて、ただただ障害者を守ろう!助けよう!ということっておかしいんじゃないかと思います。もちろん多くのすばらしい運動をしている方もいるのですが、障害は特殊で、かわいそうと思うのではなく、ひとりひとりが自分と向き合って生涯を過ごせれば本当にノーマライゼーションになるのではないでしょうか。最近障害者と言う漢字を使わない動きが盛んですが、人間皆、生涯者って名乗ればいいのではないでしょうか。
ちなみに僕はこう見えて、高校時代400メートル障害(通称:4パー)の選手なのでした。
4パーは、フラットのタイムがどんなに早くても、ハードリングが悪いと一気にタイムロスしてしまいます。あせりすぎないで、自分に合ったちょうどいいハードリングで、社会の障害も乗り越えられればいいですよね♪
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