Blogをはや2ヶ月くらい、だいぶ文章を書くことにも慣れてきて、結構楽しくなってきた。しかし同時に、罪悪感というか罪の意識を感じるようになった…
というのも、僕はこのBlogでくだらないことから熱い思いまで、自分の意見をどんどん書いているのだが、こんなことを公共の電波でやっていいのかとふと思ってしまう。まぁ、ハンドルネームは使っているが、それはただ単に気に入っているから使っているだけで、Blogのプロフィール欄には、立教大学21世紀社会デザイン研究科に通っている海沼武志という本名はちゃんと名乗っているので、情報を発信する責任!?は果たしているつもりであるが(甘いかな、でも顔写真は恥ずかしいので…)、特に論文を書く上では、すでに世に出ている先行研究だったり、現実問題の考察をした上で自分の意見を書かなきゃいけないように、このBlogでも社会的なことに対する意見を述べる場合は、自分の薄っぺらい知識に想像力を付け加えただけでいいのかとふと感じてしまう…まぁ気軽に誰でも情報発信できることがBlogのよさでもあるのだが、最近立花ゼミの影響でメディア論について興味を持つようになって、いろいろ勉強していくうちに、自分のしていることに疑問を持つようになってしまった。まぁたかだか1日10アクセスを超えたことで喜んでいる程度の僕なので、世の中に対する波及効果なんてこのBlogにあるのかといえば、多分ないだろうが(泣)それでも公共の電波に流している時点、だらでもGoogleでかいぬまんと検索したらアクセスできてしまう時点で、しっかり考えなければならないのかと感じる…僕がmixi内で日記を書くのを止めた理由もそこらへんにあるのだが、とにかく悩んで悩んでしまう。といいながらも、ニューコミュニケーションとしてのBlogの可能性を信じたいので、僕はこれからも書き続けたいと思う。
同級生で、日米の医療観についての報告をしてくれた方がいて、その時にNatural Knowledge(ナチュラル・ナレッジ)という初めて聞く言葉が出てきたのだが、日本にはそれが足りないらしい。Natural Knowledgeとは、日本風に簡単に言えば「家庭の医学」的な知識のようなもので、そのまま自然な知識というものであるが、アメリカではその結構つっこんだ知識がホームページなどで簡単に知ることができるのに対して、日本では…というところ。医療だけではなく、とにかく今の社会には、このNatural Knowledgeが欠けているような気がしてならない。今海外の小学校の進んだ教科書が流行っているが、そういう源流からか、とにかくいろいろなことを専門家に任せていればいいという雰囲気である。まぁ専門家が一番知識を持っているといえばそうなのかもしれないが、物事はすべて一面的ではない。でも、現代社会は効率のよい!?分業制なので、もちろんその道の専門家に委ねることもしてもよいのだが、その時点で委任状を出しているようなものなので、委ねた自分にも責任が生じていることも忘れてはならない。だから、何か問題が起こったら、専門家の責任を追及するのと同時に、委ねた自分もしっかり反省しなけらばならないのではないか。もしそれでも追求したいのなら、もっとそこについて勉強するくらいのことをやってから(理論武装)して、堂々と反論すればいい。あと、もちろん経験も大事だけど、経験だけがモノを言うという社会もおかしいので、しっかりとバランスがとれていなければならないだろう。
なので、僕はジェネラリストのスペシャリストを目指したい。
0 件のコメント:
コメントを投稿